縁起・寺宝






 当山は、今を去ること約745年前、弘長年間に、伝教大師の作による「薬師如来」をご本尊として 創建されました。

 その後、幾多の星霜を経て盛衰を繰り返し、中興の第一祖、法印・弘意住職が、 永正年間に寺門振興に努め、また、元禄年間には、中興第二の祖、 法印・應全住職が寺内荘厳に努め、当山は隆盛を誇りました。

 元和3年、僧正・俊賀の時代には、徳川家康公の遺骸を日光山に移埋する際、 当山に4日間滞在し、また、天海僧正、家光公の葬送の際にも止宿となり、徳川家より十石を賜り、 門末の塔頭寺院も26ヶ寺を有しました。
 しかし、寛文3年回禄の災により、御堂、古記録等皆焼失しました。



 昭和41年、大僧正・忠忍和尚の代に「梵鐘」「鐘楼堂」の建立、昭和53年には現在の「金堂」を建立しました。
 平成3年、33年に一度の本尊大開帳に併せ、大僧正・隆忠和尚と、 ご檀徒さまのご尽力により「客殿」「庫裡」と寺内荘厳に努め現在に至っております。



「鹿沼市史 資料編 近世2」に当山のことが記されています。

 薬王寺は、弘長年間(1261〜64)の創建といわれ、江戸時代には朱印地10石と与えられ、門末26か寺を管轄した。さらに宝蔵寺とともに交替で今宮権現の別当をつとめた。元和3年(1617)、家康の日光山への改葬の際、遺骸が4日間滞在、天海(寛永20年)や家光(慶安4年)の遺骸も当寺に滞留している。

 江戸時代に入って徳川家康の日光廟の造営とともに御社参の街道の宿場町として町割りがなされ、元和3年(1617)家康の遺骸が薬王寺を経て日光廟に祭祀されてより、宿場として繁栄するとともに地域の産業・経済・文化の中心部となった。朱印地が今宮権現50石・宝蔵寺10石・薬王寺10石や寺社の除地があった。

     「鹿沼市史 資料編 近世2」より抜粋


 平成15年、当山第三十世山主として「倉松俊弘(しゅんこう)」が住職を拝命いたし、 寺門隆盛に努めるべく精進いたしております。


薬王寺 本堂/金堂
本堂
薬王寺 山門
山門
薬王寺 鐘楼堂
鐘楼堂





寺宝  「東照宮渡御の記」

 徳川家康公が逝去され、「我亡からん後は、先づ駿河の久能山に葬り、一周忌を経て後大織冠の例を追うて日光山に移せ、神霊ここに留って永く国家を擁護し、子孫を守るべし」との遺言をされ久能山より日光東照宮への移動の際に当山に4日間滞在されましたが、久能山から日光までの道程を記したものが「東照宮渡御の記」であり、当山にも残されています。

 また、この渡御の様子は、現在、東照宮の例大祭(5月17日)が行われている「百物揃千人行列」が久能山から遷霊した際、奉壮された渡御祭の様式を今日にそのまま伝えられている。

寺宝画像
寺宝画像
鹿沼宿薬王寺
入所の文字が
こちらにも
当山の名前が見られます

寺宝画像
東照宮渡御の記
寺宝画像
家光公渡御の記